第17章 まとめ
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「往々にして美徳とは偽装した悪である」
個人として、また社会として、よりよい人生を送るために、このゾウの認識をどのように役立てればよいのだろう
第一部の最大の教訓は、わたしたちがゾウを戦略的に無視しているということ
自己欺瞞によって、人は他者の前で自分勝手に見えることなく自分勝手な行動をとることができる
したがって、隠された動機を抱いていることを認めてしまうと、自分が胡散臭く見え、それによって他者の信用を失うおそれがある
そして、たとえゾウの存在を心の中でひそかに認識するだけでも、過剰な自意識と自分が偽善者であるという認識がみずからの脳に負担をかける
そうは言っても、人間の暗い動機の認識を深めることには実は利点がある
ゾウを利用する
状況認識がうまくなる
人間社会をより良く、より深く理解できるようになる
他者の動機に関する言い分を鵜呑みにするのは簡単だが、そうした言い分は人を誤った方向へ導くことが多い
「あなたのためにやっている」とよく口にするが、そうした行動を説明する向社会的な理由にはいくらかの真実が含まれているかもしれないが、口で語られていないこともまた同じくらいかそれ以上に重要であり、どこに注目すればよいかを知ることは有用だ
他者のボディ・ランゲージがなんとなく自分を不安にさせるときは、たとえ発している本人が理解も自覚もしていなくても、そのように意図されたものである可能性がある
職場の会議が不必要な時間の無駄に思われる場合は、実際にはその無駄に意味があるかもしれない
犠牲を伴う儀式は、チームの団結力を高めたり、上司が部下の手綱を締めたりする際に役立つことがある
もしそのような行動で時間を無駄にしたくないと思うなら、問題の根本に対処するか、同じ役目を担う他の方法を探すかしなければならない
最高の医療を受ける資金がないと心配になっても、危険にさらされるのは必ずしも健康ではなく、おそらく自己イメージと社会的イメージだけだろうと思いだしてほっとするかもしれない
広告、説教、選挙運動で自分が操られていると感じたなら、第三者効果を思い起こせばよい 医者よ、なんじ自身を治したまえ
まさしく他者の動機を理解することは有益だ
重要なポイントはわたしたちがしばしば自分自身の動機を誤解していること
本書で他者の行動について読み進めているうちに怒りを覚えたり、自分は正しいと感じたりしたなら、その感情を捨て去るよう努力してほしい
自分が同僚と衝突したり配偶者と喧嘩したりしたときには、どちらの側も、少なくとも多少は自分で自分にだまされているのだと覚えておこう
何はさておき、ゾウは謙虚になれとわたしたちを諭している
同じ自己欺瞞の仲間に思いやりを持って接するよう呼びかけ、よからぬことを企む自分の心から一歩外に踏み出せとはっぱをかけている
コラム17 直接の非難はNG
「隠された動機」を説明するときの鉄則は、二人称を用いず、一人称か三人称、そしてできれば複数形を用いること(この点についてはPaul Crowleyを評価されたい) つまり利己的な動機を抱いている眼の前の人を非難してはいけない
そのような非難は失礼なだけでなく、根拠も弱い
見せびらかす
誰にでもあてはまるわけではないが、人間に共通する動機について正直に話す能力が魅力的な性質のシグナルになる場合もある
不都合な真実を認めて冷静に論じることのできる人は、誠実さ、知性、またときには有機も同時に見せつけることができる
すべてのコミュニティがそうした性質を同じように評価するとは限らない
特に、多くのコミュニティは偏見のない事実の探求よりも伝統的なものの見方に専心することを優先する
よい行いを選ぶ
隠された動機と対峙することのもう一つの利点は、自分が望めば、それらを軽減したり阻止したりする対策がとれること
たとえば、慈善事業への寄付は自分をよく見せたいという欲求に基づいていて、あまり役に立たない福祉の支援につながっていると分かれば、意図的にその「もはや隠されていない」目的を破棄しようと決断できる
むろん、自己改善のための予算がいつも限られていることはよくわかる
偽善を一度に全部すっぱりやめたいという人もいるかもしれないが、大抵の場合うまくいかない
「報道官」が「偽善ゼロ」命令を出したに決まっている
たとえば寄付のように、まずはひとつの領域から、いろいろなものが混ざりあった動機を持続可能な形に補正していくほうがよいだろう
もうひとつ期待できそうな戦略は隠された動機が理想的な動機と一致するような状況に自分を置くこと
たとえば、正直でありながら真実に基づく考えを表明したいなら、自分の信念に懸ける習慣を身につければよい
寄付なら、効果的利他主義の運動に参加して表面的な見栄えではなく効果に基づいて寄付先を決める人々に囲まれればよい
動機は風のようなもので、風を背後に感じるようにできれば、ものごとはうまくいく
しかしながら、注意しなければならないのは、他の人々は動機をそれほど気にせず、むしろ行動がもたらす結果を気にしているかもしれないということ
自分勝手な動機がすばらしい科学者や外科医を生んだのなら、それはそれでまったくかまわないと世の中の人は考えているかもしれない
啓発された自己利益
ゾウを善行のためのチャレンジととらえる読者もいるだろうが、両手を挙げて降参する人もいるだろう
自分勝手が本来の姿であるなら、なぜわざわざ自分を責める?なぜあえて高い理想を目指して努力する?
経済学者のロバート・フランクが主張しているように、そのような考え方をすると、わたしたちの基準や行動の質が本当に下がる場合があることを示す証拠がある 人間の行動モデルとして自己利益が強調されるような経済学の授業を受けた大学生は、不誠実な行動を取ろうと考えることが多くなると、ある研究で報告されている
Goethe「ある人をありのままに扱えばその人はそのままだ。けれども、その人のあるべき姿、その人がなれるであろう人物として扱えば、その人はやがてあるべき姿、なれるであろう人物になれる」
ひょっとするとゾウに目を向けるよう呼びかけ、ゾウを「正常」で「自然」なことだと述べると、社会にとって害になるかもしれない
けれども、それだけが唯一の影響だとはかぎらない
たとえばそうしたコミュニティが、向社会的な薄っぺらな動機を受け入れにくくして、利己主義に対する規範を改善するかもしれない
いずれにしても、自然論的な誤信、すなわち生まれ持った性質はよいものだという誤った考えは慎重に避ける必要がある 本書は悪行の口実にはならない
しかしながら、同時に、美徳のためにはどうにかして生物的な衝動を「超える」必要があると結論づけることも間違いだろう
美徳を非生物的根拠に基づいて定義してしまうと、それは不可能な基準になってしまう
同様に、動機づけの存在を無視して「よい行い」をするためには自己利益を放棄しなければならないと人々に教えてはいけない
美徳の名のもとに犠牲や苦痛を求めれば求めるほど、そこから受ける恩恵は少なくなる
他者のために行動することが、ひいては自分のためになるという考え方
そう考えれば、人間には理想が必要である
自分が努力するための個人的な目標としてだけでなく、他者を評価するため、そして自分が他者に評価してもらうための基準としての理想
よい行動をすると約束する、そしてその約束に自分の名声を懸けることには真の価値がある
その理由はおもに、そうすれば同盟相手としての自分の魅力が高まるから
むろんそのような誓約はよい行動を保証するものではない
しかし、それでもなお、理想はいかなる基準を守ることも拒否した場合と比べればよい行いをする動機づけになる
確かに、高い理想を掲げておきながらそれに従えなかった場合には、偽善者に見えるおそれがある
しかし、理想がまったくないというもう一つの選択肢よりはいいだろう
ラ・ロフシュコー「偽善とは、悪が美徳に捧げる貢物である」
言い換えれば、偽善者になるにはそれなりの負担がある。
制度の設計
個人の生活の範囲を超えて、政策に影響をおよぼしたり制度改革を支援する立場からできることもある
ゾウの理解が実際に成果をもたらすのはむしろこちらだろう
隠された動機を考慮せずに制度を設計しようとする人は、みな同じ問題に頭を悩ませている
まず、彼らは制度が達成すべき主要な目的を定める
それから、その制度が対処しなくてはならないすべての制約を考慮して、その目的を達成するための最適な設計を考える
それだけでもたいへんな仕事だが、見たところそれが成功しているときでさえ、ほかの人々がその解決策の採用にほとんど関心を示さないため、設計者はたびたび困惑したり失望したりする
たいていの場合、それは、設計者が公言されていrう動機を本物の動機と誤解して、間違った問題を解決したことが原因
したがって、有能な制度設計者は、人々が口で述べているうわべだけの目的と、同時に達成しようとしている隠された目的の両方を見定めなければならない
既存の制度を改革するときにも、同様のアプローチを取るべきだ
教育の例
試験よりも教育に焦点をあてた学校を望むとする
けれども、雇用者が労働者の採用に利用しているため、いくらかの試験は経済にとって必要不可欠だ
そこで学校の試験機能をあまりに減らそうとしすぎると、わけのわからない抵抗にあう
わけがわからないのは抵抗する人が反対する真の理由を言わないかもしれないからだ
抵抗の発生場所を理解できなければ、その克服は望めない
しかしながら、隠された制度機能のすべてを円滑にする必要はない
一部はきわめて無駄なシグナリングであり、制度が明言されている公式な機能だけを達成するほうがうまくいくこともある
医療の例
ケアの機能はおもにゼロサムの競争
本質とは無関係な医療支出に課税して負担を重くするか、少なくとも助成しないほうが、全体の健康状態は改善する
むろん、政治家が医療税や利用費の削減を推し進めると期待してはいけない
立法者も一般の人と同じように、ケアのシグナルによって医療が魅力的に見えている
多くの場合、従来の既得権益と並んで、こうした隠された動機づけが巨大な制度の改革を難しくしている
ゆえに、改革の取り組みには必ず自画自賛の要素があるが、見えるもの見えないものも含めて、少なくとも制度の目的を正確にとらえていれば、ありふれたミスは防げるかもしれない
制度改革へのアプローチとして期待できるのは、人々の見せびらかしたいという欲求を理解して、無駄な活動に注ぎ込まれている労力を利点の大きい活動へと方向転換すること
たとえば、学生が学校で何かを学んでいることを見せびらかす必要があるなら、ラテン語のようにあまり役に立たないものよりは、個人資産の管理など役に立つものごとを学んでもらいたい
学者が何らかのテーマにおいて自分の専門性を見せつける必要があるなら、詩の歴史よりは工学の方が実用的な領域だろう
大局観
もちろんわたしたちは完璧な協力者ではないけれども、進化した生き物としてはきわめて優秀である
チンパンジーやイルカがヒトと互角に渡り合えるとは考えられない
ジョン・F・ケンディが1962年の有名な演説で宇宙開発について述べたとき、彼はそれにふさわしい向社会的な動機で国家の野心を飾り立てた
もちろん誰もが言外の意味を知っていた「ロシア人に勝たなければ!」
結局の所、人類が成し遂げたことに比べれば、わたしたちの動機などさして重要ではなかった